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創作のための読書 [書籍]

美鈴です。寒くなってきましたねぇ>< やっとコタツを出したので部屋で暖まりながら色々とやっております。仕事の方は全てチェックバックや返信待ちになってしまったので、この機会に積んである本を頑張って読む事にしました!とりあえず、書かないと忘れるのでメモを取りながら3冊読了。前にも書きましたがツタンカーメンがらみの話で描いてみたい物語があるので、彼の治世に起こった事、関連人物像やその時期に生きた人々の関わり合い、王墓からの出土品などを調べました。ファンタジーなので相当改変はしますが、それにしても知らなさぎることは自覚しているので基礎を固めたいと思ったわけです。

というわけで、興味のない人には正直何を言ってるのかわからない話になりそうですが、読後の感想などを妄想全開でお届けしたいと思います。ただ、3冊読んだうち2冊は1990年代発行の本なので情報は古いと思われます。その辺ご承知おきの上ご覧ください。あと、私の知識もいい加減なので書かれている事は鵜呑みにしないでください。や、本当に妄想の域を出ていないので。

・黄金のツタンカーメン

図説 黄金のツタンカーメン―悲劇の少年王と輝ける財宝

図説 黄金のツタンカーメン―悲劇の少年王と輝ける財宝

  • 作者: ニコラス リーヴス
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 1993/12/10
  • メディア: 単行本


ご存知の方もおられるかもしれませんが、最近?ツタンカーメン王墓に秘密の部屋があるという説(https://www.academia.edu/14406398/The_Burial_of_Nefertiti_2015_ ←英語の論文です。私はまだ読めていませんが、以前TBSで放送されたツタンカーメン王墓の特番の内容かなと思います)を発表されたニコラス・リーブスさん(エジプト学者)の著書です。3章までは7月くらいに読み終えていたのですが…ようやく最近全部読めました。ツタンカーメンの事を知るならこれを読めば大体網羅できるのかなと思いますが、発行がだいぶ昔(1993年刊)なのでどうなのかなw 個人的には王墓出土の品物のことを知るにはいい資料になりました。

この本で気になったのは、黄金のマスクの耳たぶに開けられているピアス穴が発掘当時は丸い形の金箔で塞がれていたという事(現在展示されているマスクはその金箔は剥がされているようです)と、王のミイラの耳にピアス穴が空いていたという事。マスクは外見の様式性はあるけど(どの王の顔も大体一緒な感じで表現されていますし)一応は故人に似せて造られる感じだったと記憶しています。もし王に似せて作られたのなら、ミイラの耳にもピアス穴が空いているわけだし塞ぐ必要性があったのかなという素朴な疑問が湧きました。ただ、男性がピアスをつけるのは幼少期だけとの記述もあるので…習慣に則って塞いだのかな…。ただ、このマスクは王のためではなく別の人のために作られたらしい?ので(カルトーシュ内の王の名前は誰かの名前に上書きされた痕跡がある)塞ぐ必要性があったという事なのかしら…だとすると、このマスクの元の持ち主は誰なのか…これはまだ解明されていないようなので保留。

上の話も色々と気になりますが、個人的にこの本を読んで一番びっくりしたのは発見当時墓を守るように置かれていたお神輿型の厨子の上にアヌビス神が乗っている出土品に物が入っていた事でした。一応「厨子」と言われていたので物が入っていて当たり前なのですが、前記した通り個人的には墓を守る置物的なイメージが強かったので、この事が書かれている文章を読みながら「マジで!?」と変な声が出たほどです。や、驚いた。ちなみに入っていた物も何か不思議な物が多かったですね。ファイアンス製の牛の前足とかミイラの小像とか…だったかな?

あと、国家の敵である「墓泥棒」のヒエログリフというのがあって、杭に人が刺さっている辛辣な文字を初めて知りました。わかりやすいというか何というか…w それから王の石棺の蓋の中央に亀裂が入っていて(蓋を横断するくらい大きなもの)そのヒビは埋葬当時についたものであるとか、儀式用アイテムが別方角に置かれていたりと埋葬が物凄く慌ただしく行われた事を物語るような話も書かれていました。どうしてそんな事態になったのかは不明なようで。王の急死だけの問題ではなさそうだけど…(病死説である場合、ある程度死期などは予測できたと思われるのでそんなに慌てる事はなさそうだと思うのだけど…それとも超予想以上に早く亡くなってしまったという事なのかな…?)。墓泥棒が手を出せなさそうな所も間違っていたりするので、荒らされて何とかなったとも考えにくいし…。それとも間違いじゃなくて理由があって故意でそう置かれたとかはないのかな?とか考えつつ、謎が謎を呼んだまま次の本へw

2冊目に読んだのは

誰がツタンカーメンを殺したか

誰がツタンカーメンを殺したか

  • 作者: ボブ ブライアー
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 1999/05
  • メディア: 単行本


病死説が有力になってしまった今ではちょっとどうなのかなと思いつつ、個人的にはツタンカーメン王の周囲の人物や治世時の出来事をどのように書いているのかが気になって読んだ本です。直接の死因が現在では病死説が有力であったとしても、いつのご時世でも暗殺者は偉い人を狙っていると思うのでそういう企てがあって実行してちょっと成功したりという事態もあったかもしれないし、他にも色々と得るものはあるだろうしという事で。著者のボブ・ブライアーさんは古病理学(古代の病気などを研究する学問)の専門家で、エジプト学者でもある方です。個人的には三冊の本の中で一番色々な事が伝わってきやすい感じの文章でした。知りたい事も大体網羅できましたし。ただ、この本も1999年刊で決して新しいわけではないので、今でも使える情報がどこまでなのかを判別するのが難しい所です。

読みやすいのですが、暗殺シーンなどの架空の話の部分だけが脳内で映画のように再生できない感じではありました。まず、宮廷内の生活が私には知識としてないというのもあると思いました。ただね!王妃様は一緒に寝ずに後宮でというのは理解不能ではないのですが、王の部屋で農民夫婦が寝ている事がまず分からずw 使用人なのかな…?でも王が使用人に農民を選ぶのかっていう…寝てる時なんて一番無防備なんだし…と色々と突っ込んでしまいました。

でもまぁ、きっとそうなんだろうなと気を取り直して続きを読むと、今度は私が個人的に「高反発高床式枕」と呼ぶ枕に横向きで王が寝ているという記述が。…あれ横向きで寝るの辛くね?と思いましたが、ツタンカーメン王墓からは枕と一緒にクッションらしきものも出ていると「黄金のツタンカーメン」の本に書かれていた気もするので(多分)、首のあたりにクッション当てればさほど苦しくないのかなと場面補完。ツタンカーメン王は後頭部が人よりも大きかった気がするので、上むいて寝るのがきっと厳しかったのかもしれない…でも横向きも結構厳しいと思うのよね…あの枕だと余計に…とぐるぐるしながらも続きを読む。

私が一番理解ができなかったのは、王が暗殺時に殴打されたと思われる場所を暗殺者が殴りつけるシーン。殴打された場所を解説するレントゲン写真がこの本の別ページに掲載されています。後頭部の首と頭の接合部分で、これは写真を知っていたので改めて見なくてもどこだかわかっていたのですが…暗殺しに来たのにそんな端っこ殴るのかね?という素朴な疑問が…。文章では明らかに上から下に鈍器を振り下ろしている感じでしたので、それであの場所に物を当てるのって難しいと思うのですがどうなんでしょ?横向きではなくうつ伏せに寝ていたのならわかりますが…。ただ、王は殴られた後も少し生きていたのではないかと(その当時は)言われていたらしいので即死されると辻褄が合わないのだろうなと思い、そこを傷つけられて即死させずに暗殺説を唱えるのであればその方法しかなかったのかなぁとは思いました。暗殺…というのがネックですよね…。これが階段滑って後頭部打ってしばらく生きていたけど何かの拍子に悪化して死んでしまいましたという方がすんなり読めそうな気がするのですが、おそらくそれではカッコ悪いし本にしても多分売れないww そもそも何で暗殺説になったんだろう…?それは序章に書かれている「テレビで放映されたレントゲン撮影の話」が原因なのだろうけど…専門家ではないので、打撃の時と階段で滑って後頭部を打つのでは傷のつき方が違うという事なのかなということで自己解決させました。傷のつき方が一緒ならきっと暗殺説はなかったのではないかなぁと思ったので…この内容の文章だと(素人考えですが)。

・正常の範囲ですが、ことによるとこのあたりで、脳を覆う膜の下に出血が起こったのかもしれません。出血は後頭部に打撃を受けた結果とも考えられ、ひいてはそれが死因となった可能性もあります。

また、石(アラバスター製)で出来たかったい高反発高床式枕(に横向きで寝ている王)に向かって鈍器で殴りかかって、周囲が朝まで気がつかないというのもどうなんだろう?場所が場所だけに枕に直撃しなかったのかな…?枕に当たっていたら凄い音しそうだけど石と石だとそうでもないのかな…??後宮の人々は気がつかないだろうけど、近くで寝てた農民の夫婦は??(ちなみに暗殺犯は農民夫婦ではなく別に侵入してきている)。というのをはじめに読むわけなので、ちょっと今後の本の内容は大丈夫なのかと心配していたんですが、暗殺場面以外は個人的には引っかからずに読めました。面白かったです。まぁでも、暗殺シーンの想像ができないのは私だけなのかもしれないので(私の認識がずれている可能性もあるわけだし)一概におかしいとは言い切れないのですけどね。

暗殺に関することはまぁ置いておいて。この本で一番気になったのは、アマルナ様式の話。アマルナ美術はアクエンアテン王や他の王族もめっちゃ面長だし指長いし、物凄い独特な雰囲気を醸し出した壁画や彫像が印象的ですよね。この独特な雰囲気に関してはどのように現在では見られているのかは私は知りませんが、こちらの本ではアクエンアテン王は「マルファン症候群だったのでは?」と記載されています。病気については検索かけていないのでわかりませんが、長い特徴的な指や切れ長の目などはそれに当たる…らしいです?でも壁画に描かれている人全員がその病気を発症していたのかは謎。アクエンアテン王が発症していたので、その特徴的な事を隠すために他の人もそう描かれたという話も書いてあったかも。木を隠すなら森の中…。

それから、これはこの本で読んで「言われてみれば!」と思ったのですが。普通、王様のお墓には王妃様の絵が描かれていることも多いのですが、ツタンカーメン王墓の壁画にはアンケセナーメン(アンクエスエンアメン)は壁画に一切登場していません。まぁ、壁画自体少ないので王妃様を描くスペースがなかったのか時間がなかったのかというのもあるかもですが、あれだけ椅子や装飾箱等に仲睦まじく王と共にいる王妃の姿が壁に一つも描かれなかったのは私は不自然な気がしました…。どうしてでしょうね?王妃様が墓に描かれることを拒んだのか、のちに王座を引き継ぐアイが正妃に迎える気満々だったので描かせなかったのか…??これもすごく気になりますよね…今何か新しい研究結果は出てるのかなぁ。

あと、古病理学専門の方が書かれている本なので、古代の湿布薬の話は参考になりました。まだ読んでいないのですが、薬関係?(植物関係?)の本は別著者の本も買ったので後で読みたいと思います。

ファラオの秘薬―古代エジプト植物誌

ファラオの秘薬―古代エジプト植物誌

  • 作者: リズ マニカ
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 1994/12
  • メディア: 単行本


ちなみに著者が暗殺を企てた張本人として最有力候補にあげていたのはツタンカーメン王の次の王になったアイでした。

さて、最後に3冊目です。実は読むのは2度目です。今回読んだ本の中で一番新しい本です。とはいえ、4年前の本ですが…。

ツタンカーメン 少年王の謎 (集英社新書)

ツタンカーメン 少年王の謎 (集英社新書)

  • 作者: 河合 望
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/07/13
  • メディア: 新書


最初に読んだ時は私もまだツタンカーメン王墓の黄金のマスクや豪華な遺物の写真を見て喜ぶ程度の知識しか備えていなかったので、読んだことは読んだのですがちょっと難しかったのかもしれません。でも、前2冊の本で予習をしてから再読したら理解できる範囲が増えていて面白かったです。かなり優しめに書いてくださってはいるのですが、やっぱり古代エジプトは情報量が多いのだと感じました。色々な事を知るには、そのための予備知識がいる。もちろん本にはその辺書かれてはいるのですが、ツタンカーメンの周囲の人の情報は不明な点が多かったり、似たような名前も多いので私には飲み込みにくかったのかなぁとは思いました。頭悪いので許してください…。

この本で気になったのはネフェルネフェルウアテン王のお話でしょうか。この辺も現在どういう説が有力なのか私は知らないのですが、こちらの本ではアクエンアテン王亡きあと、スメンクカーラー(即位名:アンクケペルウラー/ツタンカーメンの兄とも言われているが詳細は不明)が何らかの理由でメフェルネフェルウアテン(スメンクカーラーと即位名が同じ)に改名→しかし数年で他界し、彼の王妃であったメリトアテンがその名をついで即位したと書かれています(かなり要約してしまっていますが)。ちょっと名前の表記で色々と面倒くさい問題が浮上してしまった王様?のようですが、2012年に開催されたツタンカーメン展の時にポスターやチラシに大々的に使われていた「ツタンカーメンの棺型カノポス容器」は、ネフェルネフェルウアテンのものであったと推測されているようです(カルトゥーシュ内の王名がツタンカーメンに書き換えられているらしい)。ちなみにツタンカーメン展の図録には「ツタンカーメンが王になる前に短期間エジプトを統治していたアンクケペルウラー(スメンクカーラーとネフェルネフェルウアテンの即位名)の名が刻まれていた事が知られている」…と書かれています。この辺は本と図録の記述が一致してました。なるほど。

ただ、もしネフェルネフェルウアテンが女王であった場合(この辺今どうなっているのかな…男性で王様説もあるので何ともですが)、彼女の副葬品が多数ツタンカーメンに使い回されている事も考えると、もしかしたら墓も使い回されている可能性もあるわけで、そうなると王墓の元々の持ち主が女性である事から今の王墓の通路を入って右曲がりの様式(第18王朝の時代は右曲がりは王妃(女性)、左曲がりは王(男性)だそう)は納得できるのかなと思いました。王妃様なら小ささも納得できるのかな…???ただ小ささでは納得できても、数々の装飾品の豪華さまで納得してしまって良いものなのかどうか…。この辺も詳しくないのでわからないのですけど、女王の在位は2年くらいだそうなので2年であんなに用意できるのかなって。あと2年あれば墓はもっと大きくできたのかなって思ったり。(そうなると、リーブス氏の「隠し部屋があるかもしれない」という説は、誰のものかは置いておいて納得はできる気もしました)

ツタンカーメン王墓は急ぎあてがわれた私人墓(あるいは貴族墓)と書かれていることが多いのだけど、王家の谷に墓が持てた人って限られていたんじゃないのかな?誰でも持てたとは思えなんだけど…。だとすると、そこがもしネフェルネフェルウアテン女王のためのお墓ではなかった場合、元は誰の墓だったのか、はたまたそこに埋葬されるべき人は今はどこに埋葬されているのかも気になる所。こう考えると…わかってないことが多いなぁと思うのでした…。研究されている人は本当に大変だと思う。お疲れ様です。

しかし!妄想は楽しいのだけど、こうして書いてみると自分でも何言ってるのかわからなくなるのは困りますね。ちゃんとまとめるには多分もっと知識と文章力が必要なのかもしれません…orz

そんなわけで、もう少し読んだほうがいいのかなとは思ったのですが、あまり知恵がついてしまうと創作するのに身動きが取れなくなりそうなので(すでに結構息苦しくなった状態ですw)読書大会はこの辺で一時休止。あとは創作する上でわからない事を調べる程度にとどめることにしました。まぁどうせほぼ99%は架空の話になるので、あまり詳しい事は知らなくても大丈夫といえば大丈夫なので。ただ、人物関係はちょっと抑えておきたかったので読書はとても有意義でした。楽しかったし!メモを取りながら読んだので時間がかかりましたが(しかもあとで清書しないといけない文字の汚さw)ちょこっと何かを調べるのに本を最初から探さなくても済むようにしてあるので便利です。めでたしめでたし。

web拍手もブログのイイねもいつも有難うございます!!なかなかサイトもブログも更新できていませんが、今後ものんびりよろしくお願いいたします。
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